錦帯橋の橋板と橋板との継ぎ目の防水処理方法として、
一部を試験的に古式の「のみ縄」を充填する方法に戻し、
その経年変化を見ていくことになりました。

実施予定日は1月30日(天候によっては変更します)です。

のみ縄とは、かつて木造船の板と板の繋ぎ目に詰め入れ、
船内部への水の浸入を防ぐものとして使われていた素材で、
ヒノキの皮の一番内側の柔らかい部分を「なって」作られたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして、こののみ縄を詰め入れることになったのか?
次回に続きます。

「フランス石橋紀行 ?石から考える錦帯橋?」
 

第2回錦帯橋国際シンポジウム開催から
あまり時間が経っていないのですが、
2011年1月29日(土)午前10時から
岩国市民会館小ホールにおいて
世界遺産講演会を開催いたします。

講演会のチラシはこちら↓

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

チラシPDF→世界遺産講演会チラシPDF

熊本大学大学院教授の小林一郎先生は
第1回錦帯橋国際シンポジウムにおいて、
フランスのミシェル・コット先生、
アメリカのエリック・デロニー先生を
岩国にお招きする際に、お力添えいただき、
あわせて、パネルディスカッションコーディネーターとして
大いに会場を盛り上げていただきました。
また、先日の第2回錦帯橋国際シンポジウムにおいても、
パネリストとして、大変力強い言葉をいただきました。

「橋としては新しい錦帯橋の持つ価値とは、
 330年余りにわたって受け継がれている
 橋を架ける技術そのもので、
 目に見えないところにある。
 そこに、世界遺産登録するだけの価値がある。」

さて、今回はどのようなお話になるのでしょうか。
タイトルからは想像つきませんが、とても楽しみです。

当日の様子を動画配信いたします。

第1部 基調講演はこちら↓

http://gallery.inet.city.iwakuni.yamaguchi.jp/vod/vod_play.php?CNTID=4577

第2部 パネルディスカッションはこちら↓

http://gallery.inet.city.iwakuni.yamaguchi.jp/vod/vod_play.php?CNTID=4566

なお、まだ作業に着手していないのですが、
後日内容を報告書というで文書にします。
 

11月14日、第2回錦帯橋国際シンポジウムを開催いたしましたところ、
約250名の方に参加いただきました。
御来場のみなさま、大変ありがとうございました。

で、とっても気になる内容なのですが…、
次回以降に続きます。

第1回錦帯橋国際シンポジウムでは、フランスのミシェル・コット先生と
アメリカのエリック・デロニー先生にお越しいただき、
錦帯橋について十分に御理解していただいた上で、
世界遺産となる可能性が十分にある、という高い評価をいただきました。
同時に、世界中にこの橋に類似する木造橋があるのか(ないのか)
を調べておくことが大事であると指摘されました。

そこで、今回のシンポジウムでは、
錦帯橋のルーツがあるかもしれない
(おそらくないだろう)中国の木造橋について
その研究者である北京大学の方ヨウ先生にお越しいただき
(「ヨウ」は、扌「てへん」 に用)
中国木造橋の変遷や現状と
錦帯橋との相互関係について
教えていただこう、ということです。


 

具体的にどのようにお話されるのか、わかりませんが
とても興味深い内容になりそうです。
 

発掘松杭

キジア台風に伴う洪水で、崩壊した石積橋脚周辺を発掘調査した際に出土した松杭です。
出土以降の管理が難しいため、かなり朽ちていますが、相当大きな松材です。

もしも、石積橋脚の土台として使われていたものならば、
1674年の工事で使用を開始したことになり、
樹齢が150年以上あるでしょうから、植栽・・・
はしませんね、誕生は16世紀、
ひょっとすると15世紀ということも考えられます。

(とは言わないですね、自生していたでしょうから)は16世紀、
ひょっとすると15世紀ということも考えられます。

ゆくゆくは、科学的に解明する時が来るかもしれませんが、
謎に包まれた今、いろいろ想像してみるのも楽しいものですよ。

キジア台風写真・新聞

1950年9月14日、
キジア台風に伴う洪水で錦帯橋は流失してしまいました。
その後、市民をはじめ各方面の努力が実を結び、
橋は「錦帯橋」として見事に再建されました。

私たちは、断片的に入ってくる情報で当時を知ったつもりでいます。
でもよくよく考えると、実際の再建に至るまでの困難な道のりについては、
ほとんど知らないことに気がつきます。
ここに展示した写真や新聞報道は、
当時どうだったのかを知る貴重な手ががりになります。

流失から60年、当時を知らない大半の方にも、
実際に体験された方にも是非ご覧いただきたいメニューです。

いよいよ近づいてまいりました、

第2回錦帯橋国際シンポジウム

チラシの内容はこちら↓

なお、このページの「お問合せ」からもお申し込みできます。

 

 

 

 

現寸型板

広い会場の壁面を大胆にあしらっているのが
現寸型板(げんすんかたいた)です。
もちろん、その名のとおり本物と同じ大きさです。

錦帯橋がアーチ構造として機能するためには、
それぞれの部材がきちんと配列され、
パズルのようにぴったり合わさっていなければなりません。

また、橋の桁は5列あり、両端から延びるため(×2)
その10個も同じ大きさに揃えなければなりません。
効率よく同じパーツを10個作るために、
この型板を使って加工前の木材に墨を打つのです。

と、ここまでは理屈でイメージできます。
ここから先がいわゆる匠の領域です。
木は生きています。
たとえ木材や製品に姿を変えても、その性質までは変わりません。
四角く製材された木材も、時間が経てば反ったりねじったりします。
つまり、この先起こるであろう反りやねじりのイメージをしっかり持って、
使う場所に応じて木材それぞれの個性を生かしたり抑えたりするように、
墨を打つ必要があるのです。

匠の技の要である「木を観る」とは、そういうことなのです。

150分の1スケールの模型

この会場内で最も小さな錦帯橋の模型です。
模型を作られたのは、村中 巧(むらなか たくみ)さん
キジア台風後の昭和の再建工事には大工として、
さらに「平成の架け替え」では、
工事の元請の岩国建築協同組合の理事長として、
長年にわたって錦帯橋に関ってこられた方です。

この模型に施された仕事は本当に凄みがあります。
例えば、高欄(手すり)の通し貫(真ん中の木)は、
本物の錦帯橋同様に、斗束(縦の木)に空けられた穴に
見事に通されています。

また、使われている非常に小さな部品は1mm以下。
くしゃみをすると、どっかに飛んでいってしまうほどです。

まさに、村中さんの橋に対する熱い情熱がなければ
完成できないものだと思います。

実は、この恐ろしく精密な錦帯橋は、
ここのほか岩国市役所本庁1階をはじめ、何箇所かに展示されています。
(すべて村中さんお1人で作られたものです。)
どうか、機会があれば会場の模型に限らずじっくりご覧下さい。
 

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