前回までの理由で、
このたび第5橋(城山側)の橋板の継目数箇所で今回の架け替え以前に
実施していた「のみ縄」の充填を試みることになりました。
写真は、橋板の継目と同じ幅の溝を作って、
のみ縄の太さを事前に調整している様子です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この試みをもとに、現在のシーリングと、古式ののみ縄との
耐水性・耐候性・耐久性などさまざまな面から
科学的に性能の比較をしていきます。

 

次回は、実際の工事の様子について報告します。

そもそも、橋板と橋板の繋ぎ目はどうしてこんなに広いのでしょうか。
実は、湿度の状態で膨張・収縮を繰り返す橋板の「あそびしろ」を
想定した結果です。
「平成の架け替え」工事では、橋板と橋板の繋ぎ目の部分から
雨水の浸入を食い止め、内部の構造材の腐朽を抑えるために
シリコン系の素材でシーリング(充填・接着)しました。

 

 

 

  

 

 

 

 

ところが、むき出しの過酷な気象条件や、
女性の靴のヒールがちょうど入ってしまった、
といったことで橋板との接着が弱くなってしまい、
そこから水が漏れるという思わぬ事態が発生したのです。

次回に続きます。
 

錦帯橋の橋板と橋板との継ぎ目の防水処理方法として、
一部を試験的に古式の「のみ縄」を充填する方法に戻し、
その経年変化を見ていくことになりました。

実施予定日は1月30日(天候によっては変更します)です。

のみ縄とは、かつて木造船の板と板の繋ぎ目に詰め入れ、
船内部への水の浸入を防ぐものとして使われていた素材で、
ヒノキの皮の一番内側の柔らかい部分を「なって」作られたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして、こののみ縄を詰め入れることになったのか?
次回に続きます。

「フランス石橋紀行 ?石から考える錦帯橋?」
 

第2回錦帯橋国際シンポジウム開催から
あまり時間が経っていないのですが、
2011年1月29日(土)午前10時から
岩国市民会館小ホールにおいて
世界遺産講演会を開催いたします。

講演会のチラシはこちら↓

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

チラシPDF→世界遺産講演会チラシPDF

熊本大学大学院教授の小林一郎先生は
第1回錦帯橋国際シンポジウムにおいて、
フランスのミシェル・コット先生、
アメリカのエリック・デロニー先生を
岩国にお招きする際に、お力添えいただき、
あわせて、パネルディスカッションコーディネーターとして
大いに会場を盛り上げていただきました。
また、先日の第2回錦帯橋国際シンポジウムにおいても、
パネリストとして、大変力強い言葉をいただきました。

「橋としては新しい錦帯橋の持つ価値とは、
 330年余りにわたって受け継がれている
 橋を架ける技術そのもので、
 目に見えないところにある。
 そこに、世界遺産登録するだけの価値がある。」

さて、今回はどのようなお話になるのでしょうか。
タイトルからは想像つきませんが、とても楽しみです。

当日の様子を動画配信いたします。

第1部 基調講演はこちら↓

http://gallery.inet.city.iwakuni.yamaguchi.jp/vod/vod_play.php?CNTID=4577

第2部 パネルディスカッションはこちら↓

http://gallery.inet.city.iwakuni.yamaguchi.jp/vod/vod_play.php?CNTID=4566

なお、まだ作業に着手していないのですが、
後日内容を報告書というで文書にします。
 

11月14日、第2回錦帯橋国際シンポジウムを開催いたしましたところ、
約250名の方に参加いただきました。
御来場のみなさま、大変ありがとうございました。

で、とっても気になる内容なのですが…、
次回以降に続きます。

第1回錦帯橋国際シンポジウムでは、フランスのミシェル・コット先生と
アメリカのエリック・デロニー先生にお越しいただき、
錦帯橋について十分に御理解していただいた上で、
世界遺産となる可能性が十分にある、という高い評価をいただきました。
同時に、世界中にこの橋に類似する木造橋があるのか(ないのか)
を調べておくことが大事であると指摘されました。

そこで、今回のシンポジウムでは、
錦帯橋のルーツがあるかもしれない
(おそらくないだろう)中国の木造橋について
その研究者である北京大学の方ヨウ先生にお越しいただき
(「ヨウ」は、扌「てへん」 に用)
中国木造橋の変遷や現状と
錦帯橋との相互関係について
教えていただこう、ということです。


 

具体的にどのようにお話されるのか、わかりませんが
とても興味深い内容になりそうです。
 

発掘松杭

キジア台風に伴う洪水で、崩壊した石積橋脚周辺を発掘調査した際に出土した松杭です。
出土以降の管理が難しいため、かなり朽ちていますが、相当大きな松材です。

もしも、石積橋脚の土台として使われていたものならば、
1674年の工事で使用を開始したことになり、
樹齢が150年以上あるでしょうから、植栽・・・
はしませんね、誕生は16世紀、
ひょっとすると15世紀ということも考えられます。

(とは言わないですね、自生していたでしょうから)は16世紀、
ひょっとすると15世紀ということも考えられます。

ゆくゆくは、科学的に解明する時が来るかもしれませんが、
謎に包まれた今、いろいろ想像してみるのも楽しいものですよ。

キジア台風写真・新聞

1950年9月14日、
キジア台風に伴う洪水で錦帯橋は流失してしまいました。
その後、市民をはじめ各方面の努力が実を結び、
橋は「錦帯橋」として見事に再建されました。

私たちは、断片的に入ってくる情報で当時を知ったつもりでいます。
でもよくよく考えると、実際の再建に至るまでの困難な道のりについては、
ほとんど知らないことに気がつきます。
ここに展示した写真や新聞報道は、
当時どうだったのかを知る貴重な手ががりになります。

流失から60年、当時を知らない大半の方にも、
実際に体験された方にも是非ご覧いただきたいメニューです。

いよいよ近づいてまいりました、

第2回錦帯橋国際シンポジウム

チラシの内容はこちら↓

なお、このページの「お問合せ」からもお申し込みできます。

 

 

 

 

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