◆構造
- 【橋の諸元】
- 【独創的なアーチ構造】
桁の迫り出し(1番から4番)
桁の迫り出し(5番から11番)
棟木によるアーチの完成 - 【橋脚の構造】
江戸時代の橋脚
(昭和25年の流失まで)
昭和の再建以降の橋脚
◆部材
◆建設
【橋脚の構造】
江戸時代の橋脚(昭和25年の流失まで)
空石積橋脚(からいしづみきょうきゃく)と呼ばれる方法で作られています。
河床の2~2.7m下にマツの杭を打ち込みます。その上にマツの丸太を井桁状に組んで、編木基礎とします。その基礎の上に石を積み上げました。
河床からは、岩国式穴太積といわれる手法により橋脚の外部には石を積み上げ、内部には、栗石(ぐりいし/丸みをおびた川石のこと)や土など埋め込みます。
旧橋脚(断面図) | 旧橋脚(平面図) |
橋の桁を受けるところには、隔石(へだていし)を取り付け、桁を受けます。その上部には大石を重しとして載せて、周囲を土で固めました。
桁尻部分を土で覆ってしまうため、そこが腐り朽ちることから、約20年ごとに架け替えが必要でした。
流失を免れた第4橋脚:昭和25年(1950年) |
昭和の再建以降の橋脚
昭和25年(1950年)の錦帯橋の流失後、橋脚の構造は大きく変更されました。
強固な剛性をもつケーソン工法により深さ10mの基礎を土台とし、橋脚は鉄筋コンクリートにより構築され、壁面を石張りにしました。
また、今後の洪水に備えるために、橋脚(中央2基)を約1m高くしています。さらに、桁を受ける部分には鋳鉄の沓鉄(くつてつ)が設置されより強固になりました。
これによって、桁尻が腐朽することがなくなり、次の架け替えは50年後となりました。
橋脚の石張り:昭和27年(1952年)の架替時 |
新橋脚(平面図・断面図) |