昭和25年、橋は流失。多方面の協力と地元の熱意で

【第四章】

流失、再建、そして平成の架替へ

延宝2年(1674)の再建以来、276年の間、流失することなく横山・錦見間を繋いできた錦帯橋に悲劇が起こったのは、昭和25年(1950)のことでした。

昭和25年9月13日、キジア台風が岩国市を襲い、翌14日には非常に危険な状態となりました。そこで、3つの反り橋に水を入れた6尺桶を置くなどして防備に務めたのですが、午前9時47分から、とうとう濁流に呑み込まれ、流失しました。

その背景には、戦争中に松根油を採るなどして、山を荒らし、これが洪水を助長したことが挙げられます。また、進駐軍の岩国基地滑走路拡張のため、錦帯橋の下河原の砂利を大量に採ったことから、橋脚近くの敷石が剥がれた、とも考えられました。

錦帯橋流失写真(1950年)
錦帯橋流失写真(1950年)

錦帯橋が流失した日、岩国市議会が招集され、政府へ錦帯橋復旧に対する協力を要望することが決議されました。当時は市道に認定されていたこともあり、文化財保護委員会(現文化庁)や山口県、そして、建設省(現国土交通省)からも補助を受けての災害復旧工事となりました。しかし、「近代交通に役立たない橋ではなく、コンクリート橋に変更すべき」との意見が出るなど、岩国市が要望した原型での復旧は厳しい状況でした。

そこで、地元の粘り強い交渉が続けられ、最終的には、原型で復旧することとなったのです。ただし、全てを原型に復旧するのでは再び流失する恐れがあります。そこで、石組橋脚の基礎をコンクリートにすることや、高さを1m高くすること、拱肋の始点を支える隔石(へだていし)を沓鉄(くつてつ)に改めるなど、一部の改良を加えました。また、木部の延命を図るため防腐剤も使用することとしました。そして、昭和27年12月26日に架橋が終了し、昭和28年1月15日に渡り初めが行われました。

昭和の再建:工事 昭和の再建:完成式
昭和の再建:仮組 昭和の再建:完成式

そして、再建から約50年が経過した平成13年(2001)。「平成の架替」が行われました。3年を要して5橋全ての木造部分が架替られています。

今後も、一定の期間で架替や橋板の張り替えが行われる予定です。これにより、江戸時代から変わらない貴重な技術が伝えられていくのです。

平成の架替 第二期第四橋上部支保工設置状況
平成の架替:第二期第4橋上部支保工設置状況

平成の架替 桁組状況 平成の架替 完成式
平成の架替:桁組状況 平成の架替:完成式

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