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平成17(2005)年 台風14号?
橋杭2基を流失という被害を受けたものの、
考え方を変えれば橋本体が無事だったわけで、
致命的な被害は免れたといえます。
実は、桁梁のホゾ穴に差し込む橋杭の凸部分は、
先細りに加工されていました。
代々の橋がこのように加工されていたのですが、
平成の架橋工事の時点では理由がはっきりと分かりませんでした。
洪水のような大きな力がかかったときに、
外れやすくするための知恵だったということが、
この経験をもって理解できたのです。
もしも、頑丈につなぎ止められていたら、
橋本体に大きなダメージが残るような惨事になっていたかもしれません。
本体を護るために敢えて外れやすく取り付けてある橋杭は、
電気回路におけるヒューズと似た役割を持っているわけですね。
そうはいっても、人が押したり引っ張ったりするくらいでは
外れません(もちろん試してはいけません)。
この復旧工事の詳細については、また別の機会にお送りします。
錦帯橋は江戸時代から名所として知られており、多くの有名人が訪れています。
ここでは、錦帯橋に訪れた有名人を資料から紹介します。
第1回目はドラマでも有名な天璋院(篤姫)です。
天璋院(1836-1883)は、薩摩藩島津家一門の家に生まれ、江戸幕府第13代将軍徳川家定に嫁いだ人物です。
上の資料『岩邑年代記』(岩国徴古館蔵)から、錦帯橋を見物したことが分かります。
また、『御用所日記』(岩国徴古館蔵)という資料には、もう少し詳しいやりとりが記録されています。
写真資料
『岩邑年代記』嘉永6年9月11日
一 同十一日、薩州姫君様、昨夜高森泊にて、今日大橋御廻り。児玉屋え御小休。今晩久波御泊の由。横山乗越え鉄炮頭中村靜衛、錦見乗越え町奉行今田七右衛門手子藤村十兵衛、御案内御使者有之候に付、御客屋え御使内坂左門。
但、御同勢沢山。此度、公儀えお輿入と申評判。















