2008年に1回目の錦帯橋国際シンポジウムを開催した際に、パネリストとして御t登壇いただいたときの先生のコメントです。
以下、原文のまま掲載します。
私は錦帯橋にその架け替えに関連して1997年からかかわってきたが、いつも錦帯橋とその周辺の美しさに魅了されてきた。
その美しさの本質は自然との共生にあると考えている。
確かに、人間にとって自然の川を横断しなければならないという不都合を、架橋という技術によって克服しているのであるが、自然素材を使い、知恵を絞っての架橋に、自然に対する畏敬の念が感じられるからである。
この美しさのお陰で、多くの人が何世代にもわたって生計を立てることができており、ものすごい扶養力だと感心している。
しかし、近年、錦帯橋の周辺を見ていくと、錦帯橋の美しさが損なわれる事態が進行している。
それを自覚して、錦帯橋と周辺の美しさを保全していく必要があると考える。
その一つが、上流の錦城橋である。
この橋は、近代的技術によって造られているわけだが、錦帯橋と比較すると、効率性を追求するあまり自然の克服度が強すぎて、橋そのものの美しさに欠け、かつ錦帯橋に近すぎるため、その周辺の美しさを減退させているといわねばならない。
この橋も老朽化していずれ架け替える必要があるだろう。
その際に、自動車を通行させる橋であることには変わりないが、少し上流に移すとともに、錦帯橋の存在に配慮したデザインにすることを期待したい。
もう一つが、錦帯橋下流の河川敷の駐車場である。
これは、人間の都合のために自然の河川敷を強引に平らにしているのであり、自然を克服して当然という人間の欲が透けて見える。
それが、錦帯橋の上から眺める景色の美しさをさらに削減させている。
私は、駐車場をすべて無くせとは言わない。
人間が自然を利用して生きていくことは仕方がない。
しかし、やはり節度というものがあるのではないかと思う。
これ見よがしにすべてを駐車場にするのではなく、それを三分の一程度に抑え、残りを自然な河川敷に戻しておけば、節度を持った自然との付き合いということが感じられ、錦帯橋がより一層美しく見えるのではないかと思う。
自然との共生とは、本来、どういうことなのであろうか?
われわれ人間は自然を利用しなければ生きていけない。
しかし、それを収奪するようなやり方では、いずれ結局人間も滅びることになる。
自然と人間の共生とは、われわれが自然を利用するのであるが、人間側が謙虚になって、自然にお願いして利用させていただくという気持ちで、知恵を絞り、可能な限り自然を尊重・保全することではないかと考えている。
21世紀は、地球温暖化を反省して、自然と共生していく以外に人類の未来はないと考える。
世界遺産のコンセプトも、人類が歴史的に自然とどう共生してきたかという点に真髄があるのではないかと考える。
錦帯橋はその意味で橋だけで世界遺産にふさわしいと考えるが、錦川両岸の町並みを含めた周辺整備を今後どのように進めていくかに、本当の意味での世界遺産の価値が問われているのではないかと考えている。
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