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昭和10年代の絵葉書 1726 閲覧(錦帯橋挿話)大洪水にも抵抗し得べき橋礎築造の秘法を究めるため延宝四年藩命に依り藩臣湯浅七左衛門、米村茂左衛門の両士近江国穴太(今の坂本附近)戸波駿河なる人に就き之を学びたるに、機密漏洩を恐れたる同門の土着人は両名殺害を計りて果たさず、虎口を脱し大命を全うしたりと伝う。
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昭和10年代の絵葉書 2680 閲覧天を翔ける飛龍
青空を横絶する大胆不敵の飛躍ぶり、山もまた低し、水もまたひれ伏す、錦帯橋創設後、暫く一定の名称なかりし頃、飛龍橋の名ありし所以、嗚呼飛龍橋なる哉、仰げば高し雲の上まで―。
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昭和10年代の絵葉書 3688 閲覧錦帯橋祭
錦帯橋は延宝元年十月朔日五橋共に落成し同年十一月三日渡初式を挙行せられた。岩国町は之に因みて毎年十月下旬より十一月上旬にわたり吉日を選びて三日間祭典並びに諸行事を行い遠近より来り賽するもの日に数万に上り賑々しき事限りなし。
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昭和10年代の絵葉書 4692 閲覧春爛漫の錦帯橋、橋の上流下流に春色を縦ましにする白雲千里の花の郷、此処ばかりは桜の名所として歓楽に耽る春の人々、日に幾万を以て数ふ。
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昭和10年代の絵葉書 5695 閲覧佳人の腕、水神の鏡
春は嬉しや錦帯橋に桜が咲いた、佳人の腕のように差伸べた七分咲の枝は、爛漫たる笑みを含んで濃春の緑に染む澄徹の流れを掬わんとしてる。水の鏡か鏡の水か、水神の舞い出るようなガラス面の五龍の姿、揺るがざること真に明鏡止水の心境、ああ清明の天地よ、妙麗の橋よ。
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昭和10年代の絵葉書 6693 閲覧錦帯橋の基礎工事
錦帯橋の上下六十間の川底には生松乱杭が両岸の間一面に打込み其中に編木にて割栗石を無数に詰め込みかくて其上に四十間が間、又其上に二十間が間、つまり三重に石を敷込み、川底が洪水に洗われぬようにして橋臺が保護してあります。石を運ぶに河舟数万艘を要したと記してあります。
吉香公園
縣社吉香神社公園の一角にそばたつ錦雲閣、老松、若桜、紅葉、菖蒲などが季節季節によりて公園を飾っている。
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昭和10年代の絵葉書 7695 閲覧錦帯橋風景
欄干に依りて下流を眺めると、白石山の翠巒は吸江淵の深碧に倒しまの影を映している、昔、錦帯橋の創設者吉川廣嘉卿が工事を董督した家の所在地と言われる萬谷は、両山の間に奥まって幽邃の色を深めて居る、遠山には春の霞がたなびき始めた。
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昭和10年代の絵葉書 8668 閲覧縣社吉香公園は吉川元春公等祖霊を祀れるもの、境内松杉楓桜梅など参差として春に宜しく秋に宜し
桜千本の長堤
錦帯橋より上流の千本桜長堤を眺望すれば、春山春水皆な花に酔いて歌い舞うさま、真に中国一の桜花郷に感興津々
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